―死亡率が高い「急性肺血栓塞栓症」
「エコノミークラス症候群」というと、航空機などのシートに、ずっと同じ姿勢で座っていると静脈に血栓が生じ、それが右心を経由して肺動脈に集まり、閉塞を起こす病気だ。正確な病名は「急性肺血栓塞栓症」で、息苦しさや呼吸困難を覚え、最悪の場合は死に至る。2002年にサッカー日本代表のフォ ワードが、ワールドカップを目前にしたヨーロッパ遠征の帰路、旅客機を使ったことでエコノミークラス症候群になり代表を外れたことから、一般に知れ渡るところとなった。
しかしこの病気の成因は、乗り物だけではない。昔から手術など侵襲を伴う医療行為のあとにも、急性肺血栓塞栓症は起こることがあり、そういった場合の死亡率は現在でも30%前後と高い。
―6分30秒の手術でも遅すぎた
1931年10月のボストン。午前1時を回ると、それが合図だったかのように患者の意識は混濁し、血圧は目に見えて低下を始めた。患者のベッドは すでに手術室に運び込まれており、いつ手術が開始されてもいいスタンバイの状態だ。経過からみて、手術の公算が大きいとギボンは感じていた。
彼はこの患者の主治医でもある外科医、チャーチルの研究室に所属する若い研究員だ。彼はその年の2月にハーバード大学のチャーチル研究室へ入った ばかりだが、なんと1ヵ月後にはチャーチルの助手を4年も務めているメアリーと婚礼を挙げた。彼の名前は「ジョン」だが、研究室では愛称の「ジャック」で呼ばれるようになった。そんな経緯もあって、彼はチャーチルの仕事を積極的に手伝うようになり、今夜も15分ごとに患者の血圧と脈拍を測り、カルテに書き 込むという、忍耐が必要な仕事を引き受けていた。
ジョン・ギボン(1903-1973)
―アメリカでは1例も成功していない手術
患者は53歳の女性で、15日前に胆のう摘出手術を受けていた。おそらく、そのときに遊離した血栓が肺動脈に集まり、大きな塊を形成しているのだ。この時代、肺血栓塞栓症の手術予後は悪く、ヨーロッパでさえ患者142人のうち成功例は9人、アメリカでは1例も成功していなかった。しかしチャーチルは、ドイツを始めヨーロッパで奨学金付きのフェローを務めた経験を持つ、腕のいい外科医だった。
午前8時には、すっかり手術の準備ができ、執刀医のチャーチルも身支度を整えた。やがて血圧が測定困難になるほど低下したところで、 チャーチルは左胸壁を前側壁切開し、次に肺動脈と大動脈の血流を遮断すると、肺動脈を素早く切開して血栓の固まりを取り除き、すぐに縫合した。この一連の 動きはすべて連続しており、一息つくところは皆無だった。若いギボンは麻酔医の横にいて、その見事なメスさばきを食い入るように見つめ、圧倒的なチャーチ ルの手腕に魅了されていた。手術に要した時間は、わずか6分30秒。しかし女性は、手術台の上で息絶えていた。
―手術の間、循環系を維持できれば
ギボンは無力感に包まれたが、それと同時に、昨夜見た夢とも想像ともつかないものを思い出した。それは患者の汚れた静脈血に、酸素を与えて二酸化 炭素を取り除き、それを患者の動脈へ戻してやる装置のイメージだ。これができれば、手術を受ける患者の循環系を長時間維持できて、死亡率を減らせるという漠然とした考えが心に残っていた。ギボンはそのアイデアを、熱心に外科医たちに訴えたが、誰も興味を示すことはなかった。
やがてギボンは出身地であるフィラデルフィアへ帰って外科を開業した。しかし、あのとき考え付いた装置のイメージが頭を離れることはな く、3年が過ぎたころは構想もまとまり、いよいよ実際に装置を作ってみようと決心した。何よりハーバードの助手として充分なキャリアを持つメアリーも、賛 成してくれている。楽天的な同い年の夫婦は、再びボストンへ戻った。
「二人でやれば何とかなる」と。
初期型ギボン肺とネコ
―ビーコン・ヒルのネコ捕り
1934年、ボストンの住宅地でよく見かける野良ネコたちが、急に少なくなるという現象が起こった。ネコ捕りは男と女の二人組で、ビーコン・ヒルあたりを徘徊し、ツナの餌でネコを誘っては、素早く袋をかぶせ、手際よくネコたちを捕えていくのだ。
ギボンは、「研究費が少ないので、実験用のネコを買う資金を節約するために、妻のメアリーと二人で野良ネコを捕えて節約に努めるしかなかった。でも動物虐待防止協会は、1年に3万頭も殺処分しているんだよ」と弁明しているが、どうだろう。
ギボンがこのような実験を始めるに至った経緯は、こうだ。故郷のフィラデルフィアから再びボストンへ出てきたギボンは、ハーバードからマサチュー セッツ総合病院へ戻っていた師匠のチャーチルに頼み込み、再び外科の研究員として採用された。そして幸運にも、動物実験が可能な研究室を与えてもらうことに成功したのだ。彼は限られた研究費をやりくりし、その研究室で人工心肺を組み立てていった。たとえばポンプは、ボストンの東はずれにある古道具屋で買っ た数ドルの空気ポンプを、自分で血液ポンプに改造したものだった。
―19世紀の論文に着想を得て
人工心肺のイメージは、すでにフィラデルフィアで描いていたが、それは19世紀にオーストリアのフレイらが考案したものに着想を得ていた。斜め横 置きにした回転する円筒の内側に血液を流し、筒の中で膜状に広がった血液に酸素を吹きつける仕組みで、血液は10mLのシリンジをモーターにつなぎ、自動 で供給する形になっている。フレイの実験では、犬の生命を維持することはできなかったが、ギボンは人工肺の考え方に大きな可能性を感じていた。心臓の機能 は単なるポンプなので簡単だが、問題は肺の部分なのだ。彼はフレイの回転円筒肺を元にして、人工心肺の設計と実験を繰り返した。
フレイの人工心肺(1885)
斜め横置きにした回転円筒内に血液をたらし、酸素を吹きつけて血液を酸素化する。
―ついに人工心肺でネコの生命を維持できた
ギボンは、フレイの回転する円筒を、斜めではなく垂直に配置し、血液が円筒内を均一に流れるようにした。実験ではエーテル麻酔を施したネコの肺動 脈に、肺塞栓症を模して鉗子をかけ、上大静脈から血液を人工心肺装置の天頂部までポンプで送り、円筒の内壁に流下させる。円筒内には酸素主体の混合ガスを 吹き込んでいるため、ガス交換が起こる。酸素化された血液は円筒の底に集まるので、それをポンプで股動脈に戻すのだ。
このような実験を繰り返していたある日、とうとうネコが血圧を全く変化させることなく、30分、40分と生き続けた。「ジャック!」、「メアリー…」。二人は抱き合い、そしてすぐに大声でわめき合いながら手足を振り回し、でたらめにダンスを踊った。かつては名医チャーチルの執刀でも、6分30 秒もたず患者は亡くなった。しかし人工心肺を使えば、ネコは生きているのだ。
「これを人間に使えるようにする」
顔を見合わせる二人には、ありありと決意の表情が浮かんでいた。
ギボンの人工心肺(1934)
図面左端に垂直に配置した回転円筒の内壁に血液をたらし、酸素主体のガスを吹きつける。
人工心肺とギボン夫妻
―研究助手は自由を愛するお嬢様
ネコでの実験に成功したギボン夫婦は、ヒトの心臓手術に使える人工心肺をめざし、すぐにでも試作に取りかかるつもりでいた。しかし第二次世界大戦の勃発でギボンは医官として南太平洋へ行くこととなり、実験は中断を余儀なくされた。
ここで、妻のメアリーについて少し説明しておこう。ニューイングランドの豊かな家に生まれた彼女は、著名な画家である父親の影響で芸術的な世界に 興味を持ち、カレッジ卒業後にはフランスへ渡って、パリでピアノを学ぶなど、当時の女性としては非常に自由で行動的な育ち方をした。そして彼女の自由な意 思は、科学へと向かう。
ハーバードのチャーチル研究室で助手を務めるようになった彼女は、4年後にジャック(ジョン・ギボン)が研究室に入ってきたときには、動物実験の 方法、データの収集、研究手順の組み立てなどで、イニシアティブを取るまでになっており、結婚してからもその関係は続いていた。
―人工心肺での開心術を最初に成功させるのは誰か
戦争が終わると、ギボンは故郷のフィラデルフィアへ帰り、ジェファーソン医大の外科学教授となって、人工心肺の研究を再開した。しかし、人間に使える大型の人工心肺となると、実験室的な発想では完成できそうもないので、ニューヨークへ行き、本格的なメカや電気工学に長じたIBM社に協力を取り付け た。すると、ギボンがネコに使った人工肺をベースにしてIBMが作り直すと、大きなイヌの心臓手術に使ってみても、ちゃんと生命を維持できることがわかっ た。ギボンは、さらに装置の改良を加えては、イヌを使った実験を重ねていった。1952年には、イヌの開心術における死亡率を10パーセントにまで下げる ことに成功した。
IBM社の協力で作った最初の人工心肺
しかしギボンを取り囲む環境は、時間をかけた開発を許す雰囲気ではなくなってきた。ギボンより後から研究を始めたグループが、果敢にも人工肺を用 いた開心術に挑戦し、もう一息のところで、惜しくも患者が死亡するという事例を起こしたのだ。さらに多くの研究所が、人工心肺の開発に乗り出しているらしい。しびれを切らした同僚の医師からも「ジャック、いつまでイヌでやってるんだい」と軽口を投げられる始末となった。
―ついに人工心肺で6分30秒の壁を超える
1953年5月6日、ついにギボンは人工心肺を用いた開心術に臨んだ。18歳・女性、診断は心房中隔欠損症。右房を切開すると、明確な中隔欠損が 認められ、容易に閉じることができた。手術に要した時間は45分。うち心臓への血流を遮断したのは26分間だった。彼は、ついに6分30秒の壁を軽々と超えてみせたのだ。予後も順調で、数ヵ月後の心カテ検査でも、心房中隔の完全閉塞を確認することができた。
誰が最初に人工心肺での手術を成功させるかは、すでに世の中が注目するところとなっており、また患者が若い白人女性だったこともあって、新聞はギボンと完治した患者が一緒に写っている写真を大きく取り上げ、医療の新時代が訪れたことを喧伝した。
しかし、その功績を賞賛されることがあっても、彼はどこか浮かない顔をしていた。そして事あるごとに、世の中への不満を、こう漏らしていた。
「メアリーの業績は、ほとんど認められていない。彼女がいなければ、絶対に成し遂げられなかったのに…」